1981-10-22 第95回国会 衆議院 決算委員会 第2号
いわば荷牛馬車に対応する駅配置となっておったわけでございますが、いまは十六キロ強に延びております。
いわば荷牛馬車に対応する駅配置となっておったわけでございますが、いまは十六キロ強に延びております。
私は、現在の国鉄貨物営業の問題は、いま非常な努力をもって、またこれは国家、行政府においても援助をなさっていただいて、早く牛馬車時代の貨物輸送形態から新しき時代へのシステム変更をするべき時代だと思います。その過渡期に現在はあるのである、それをもって、今日一がいに旅客貨物の相互関係を云々することは問題であると考えます。
私どもよく例として申し上げるのは、いまの貨物駅のかっこうが、大体明治時代の荷牛馬車の時代の姿そのままでございまして、これでは近代的な道路輸送のトラック、あるいは内航海運のフェリー等にとっても競争すべくもございません。
そのために、貨物輸送の改善ということで、いまも運輸大臣が申されましたように、貨物駅の集約、まあ大体五キロないし六キロごとの、昔からの荷牛馬車を対象とした貨物駅を集約して、近代的な貨物駅を相当の距離間に配置するというようなこと、それから、その新しくできました拠点駅は徹底的に近代的な設備にするとか、あるいは貨物列車そのものの輸送体系を整備するというようなこと、それから通運事業との連係をとって、いわゆる協同輸送体系
これはまさに牛馬車時代の遺物でございまして、何とかこれを現在の時代にマッチした姿に近代化するあるいは合理化するということによってよりいいサービスが提供できるという観点から、逐次実施をいたしておるわけでございます。
これはかつて道路のないころ、牛馬車時代でありましたころには、まことに地域住民にも十分利用いただける駅体制であったわけでございますが、その後道路の整備によりまして、あるいはトラックの普及、大型化によりまして、やはり国鉄は大量の物資を運ぶ、あるいは中長距離の貨物を運ぶというようなことに徹することによりまして、自動車とのいい意味の結合輸送を行ないまして、全体としていいサービスを提供するということで、牛馬車時代
「自動車又は牛馬車で運搬する場合には、見張人をつけること。」と書いてある。今度の事故の場合には見張人はついていなかったと私は考えるが、どうですか。自動車または牛馬車で運搬する場合には、見張人をつけろと書いてある。この規定は明らかに火薬の重要性を考えて、衝突その他を避けるための一応の予防策として書かれたものだと解釈するのが正しいと思う。ところがこれはそういうことがされていなかった。
この自動車の見張りの問題につきましても、われわれの今日までの常識から考えて参りますと、従来の取り扱いとしては、牛馬車の場合は歩行してそばについておるということが一つの見張りのことに大体なっておったかと思います。自動車で運搬する場合には、今助手という話がありましたが、自動車の助手は見張りとは違うと思います。
とりわけ在来道交法の考え方の中に牛馬とかあるいは牛馬車などの交通をも考えて、そういうものの交通と自動車の交通を相当一緒にして規定しておる関係上、いずれにも十分でないというふうな規定がかなり見受けられますので、この点につきましては、現状が圧倒的に自動車交通ということになっておる事態にかんがみまして、自動車交通を中心とする通行方法というふうな点の考え方を強く打ち出していきたい、こういうふうに考えております
私はこの前の大臣のときにも申し上げたのでありますが、道路というものは、かご屋が通り、牛馬車か通りというような古い感覚の道路では、近代的国家社会においては、もうこれは通用しないのであって、ことに自動車が内機燃関の発達に伴って大型化し、高速度化した今日に至っては、全く道路というものは一般交通の川に供するなんというような定義をもって判断するべきものでない。
その場合に荷積み牛馬車、荷積み大車、荷積み小車及びリヤカーにつきましては増減なしということで、一応昨年の四月一日現在の数字を、三十二年四月一日現在の数字といたしております。その場合に荷積み小車の方は全国で百十三万三千七百十八台でございました。リヤカーの方は二百五十八万八千三百八十八台でございました。
万々一そういうことになれば、またまた一合五勾の配給、木炭自動車、人力車、牛馬車全盛時代にならぬとも限らない。私は今度の戦争のあやまちを繰り返してはならぬと思っております。太平洋戦争前に勢いに乗じていささか理性をうしろにした感があって大戦に突入いたしました。そのあやまちを避くるためには、英国はよい例になると思っております。
商品の回転率をよくする便利もありますし、かたがたもって東京その他大都市においては、少くとも今日牛馬車はほとんどわれわれは見なくなった程度に輸送が機械化されて参りました。この面では、先ほど申しましたように、三輪車のような日本の特殊事情に適合した車種が如実に生産量もふえて参りましたし、一トン半以下の小型のトラックも著しき増加をいたしております。
○参考人(井上隆根君) 基準らしきものと申上げましたかどうか知りませんが、国鉄の状況は、昭和二十六年に換算交通の率をきめたものがありまして、そうしてそれは通行者一人に対して自転車は一・五とか、或いは牛馬車は五とか小自動車は一〇でありましたか、或いは大きな自動車は三〇というような、そういう換算率がきめられておる。
そういうようなものにつきましては、別途また減免の措置が一般的にあるわけでありますから、税の体系として、農村において農家が所有しておる牛馬車に税をかける、あるいは農村において物の運搬を業とするようなものに対して、年額その程度の税をかけるということは、かけずに済み得るなら、それに越したことはありませんが、やはり農村の一つの実際の問題として、そういうようなものに課税するということも、あなかちまつたくいかぬとも
と申しますのは、日本の自動車の発達は、荷馬車、牛馬車からだんだんトラツクに変換して来た、そういう発達の経路から見て、贅沢から来ておるのではなく、本当に自動車を牛馬車から変えたというような姿であるために、その経営も非常に小規模であるために、僅かな税金でも響くところが非常に大きい。
つきましては極力融資に切換えて行くという方法をとつておりますが、一面におきましては、戦前におきまする林道というものが牛車、馬車に頼つておつた、最近においてはトラックに全面的に切換えて来ておるという情勢でもございますので、大蔵省並びに会計検査院の方面とも御了解を願いまして、幅員ニメートル以下、牛馬車が通行する、或いは人の背によつて木炭、薪等を運搬しておつた細い林道につきましては、これは開設費を以ちまして
軽車両の定義は明確になつたわけですが、たとい荷牛馬車にいたしたといたしましても、将来のことはいざ知らず、運輸省が発行いたしておりまするもろもろの統計によりますと、全国的に見た場合には、貨物自動車よりも、現実にこれらの軽車両によつて運送されておる運送量の方が多いという事実を私は知つております。
○正木委員 私は重ねてお尋ねをしたいのでございまするが、大都市の場合には荷牛馬車というようなものは実際過去のものでございまして、皆さんには目にとまりません。しかし一たび地方へ参りますと、この荷牛馬車が現在でも物の運送の中心をなしておることだけは間遠いがございません。
今まで全然ほかの牛馬車が通るには支障がなかつたのでありますが、バスを通すためにバス会社が利益を得る、現在でも寄附金名義、負担金名義で徴収せられておるわけであります。このような特に受益する業者と、こういうふうに規定しております。
そういうことがなければ、いわゆる弾力性のある解釈として、今あなたがおつしやつたように、荷馬車あるいは牛馬車その他で運搬ができないような所というような解釈で、いわゆる事務当局の間においてもある程度話合いがついておれば、私はそれでよろしいと思います。これは執行していろいろな問題が起つて来るとややこしくなつて来る、そういうことを言つておるのです。
○足鹿委員 薬師神さんの御説明で大体わかつたわけでありますが、そうしますと過重な労働というものの判定は、牛馬車その他農機具は用いられないので、人力をもつて肥料の運搬あるいは收獲物の運搬その他生産に必要ないろいろな仕事をする場合を大体漠然とさすわけで、ほかには何もないわけですね。
○政府委員(中村豐君) 先ほど申しましたように、通運事業法においては準備が十分でないうちに急いで実施に入りましたし、物価統制令との関係の調整をとる暇がなかつたので、お話のような問題が起るわけでありますが、これについては、先般の改正で、通運事業における集荷配達料金はトラツクによる場合、荷牛馬車その他の小運搬貝による場合も一緒にしまして、独自の集荷配達料金を作つたわけでございます。